3/3 サン・カルロ 思考する力について
玄関から入ったばかりの印象はタイトな小ささ。それは初めて来たときと変わらない。修道院の付属礼拝堂なのだ。光が乏しく唯一(楕円というより)長円のドームの凹曲面だけが薄明のうえに真白くぽっかり浮かんでいて、洞ないし腹膣の内部とも喩えたくなるヴォイドであるという印象もおなじく。
ただ、空間全体がある原理的なタイプを玄関~祭壇方向にストレッチした操作後のものであるという認識と、高さ方向の断面が明瞭に三層に分節されそれぞれがまったく異なる系として感受されるという印象の明瞭さだけは新たなものかもしれない。
空間の素性は明らかだ。ローマ時代のキリスト教草創期から長堂式と並行して存在した円堂。ローマ神話に基づく神殿をベースにする後者がより教義を体現するけれど、それは中心の一点においてのみで、アーヘンのようにカロリンガ朝の宮廷礼拝堂であるならよいだろうが集団の礼拝の帰依を受けとめる器ではない。水平の一方向に全員の意識が収斂する長堂の形式が主流となり円堂は傍流になる。
円堂を玄関~祭壇方向に一方向ストレッチするということは、ふたつの相容れない空間の形式を止揚しようとする企みだ。尊い存在は分散したり普遍に在ったりせず、ただ一点に唯一の方向に絶対として在る一神教において、円堂~長堂の統合は祈りの場所についての究極の命題である。
そんなやり方は同時期のバロックにおける円堂のバリエイションとしての楕円平面の長軸遣いのもの、それにHPシェルを四枚使って人の居るその足元では軸性をもつ菱形の広大な空間を確保し、その中心にして最上部である一点に向かってトップライトが十字!に収斂する丹下健三/東京カテドラル聖マリア大聖堂/目白(なんたる慧眼、知性と想像力なんだろう)しか僕は知らない。
ここで構造部材の説明を差し挟まなければ前へ進めない。
原理的な円堂から使い勝手を求めて正方形の平面に展開しようとして、下部の立方体と頂部のドームとしての半球を接続するためにペンデンティヴとよばれる部位が発明される。球を六面カットしたものの真半分。正確にわかりづらい説明をすると…立方体上面に、その正方形の対角線を直径とする半球を乗せる。下の立方体に合わせ出っ張った部分は鉛直にカットする。カット面は半円となり、上部にはドームの名残のようなものが残る。ここも半円頂部のレヴェルで水平にカット。そのカット面は上から見ると立方体平面の正方形に内接する正円になっている。
その正円に半球ドームを乗せる。いや、伝わるんでしょうか、心配だな。力不足です。
ドーム自体の荷重を全周で均等に拾い立方体の壁に伝える巨大なジョイントピース。
これで成る空間が形式の混交で長堂の十字平面の交差部として使われる。
【参考】同時代のカルロ・ライナルデイによる長堂の十字交差部。
立方体の壁さえなくし二本の柱で支えるアーチとしてまとめ、全体では計八本の柱がペンデンティヴを支える体裁の例。ドーム基部直下に採光窓をつけるための背の低い円筒部分、つまりドラム。その直下にペンデンティヴ。それを柱で支える格好をとる。
ボロミーニはこの部分をピックアップして円堂に帰還する。これはある規模以上の15C後半以降の長堂では必須の単位空間でありふれたものであるにもかかわらず、すくなくとも当時においては単独な円堂として着目した例を僕は知らない。
円柱状の空間を単純にストレッチした楕円柱のものが同時代の小規模教会の汎用タイプとしてあったことを思うと、ストレッチする対象としてこれを選択するということは新しい着地点を目指す魂胆がある。
確信犯だ。
手順は、正方形平面の各辺に半円アプスを付けて長堂の十字平面に言及する。次に、正方形部分をパラメトリック変形をするように一方向へストレッチし円堂ベースで長堂を招き入れる。
これだけのことで立体における変形は格段に激しいものになる。思うまま列挙してみます。
第一層/柱列とエンタブラチュア(梁型) : 【参考】で示したペンデンティヴ基部に二本ずつある柱のセットは規範を解除されとりとめない半端な状態に陥る。アプス内にぺディメント(三角状の切妻)を乗っけただけのさりげなさで神殿の意匠の祭壇が三か所とそれに玄関が設けられ、これに付帯する柱も柱列に追加される。それらはまとめて不整形なラインのうえで均等スパンを装う加工をされる。
これがおそらく平面計画上のキーとなって混交する結果、明瞭なはずのストレッチさえその他大勢の要因の一員となってしまい複数のルールが同舟する不安定な混合物となる。
第二層/ペンデンティヴ : アプス上部を担うアーチが引き延ばされ、横方向のテンションと縦方向のコンプレッションを同時に受ける板バネのごとき力動的な緊張状態と成る。ペンデンティヴ自身も第一層の柱位置の加工に合わせ膜のように引き延ばされ変形操作を語りつつ結果としての長軸方向の「動勢」を表すに至る。
第三層/ドーム : 二点からの距離の和が一定である点の軌跡としての楕円ではなく、引き延ばされた四分円の孕みだしがあるものの長円というほどのものである。そこには幾何学の完結し閉じた図形固有の拘束力はすでになく、ただただ引き延ばされたことによる長軸方向の「動勢」が残るのみである。
中心を失い焦点もなく集中を欠いた長円の均質で安定したひとまとまりの様相に至る。
あるいは、
混乱、ないし曖昧な秩序~システマテイックな力動のダイナミズム~均質、あるいは明白な秩序。
または、宗教の思弁のシステムをこのようにも表象しよう。
第一層/現世。帰依と救済を願うけれど原罪と尽きぬ背信の重さに喘ぐ暗鬱な混沌の位相。
第二層/現世と隣接する直上の審判の界。個々の人間存在が逃れ得ない力業が漲る苛烈な位相。
第三層/現と絶対接することのない天上。一神の、十字と八角の模様で暗喩される秩序の眩い領域。八角はこの教会の平面のアウトラインだ。
そして、光の状態においては、
暗鬱~直射の鋭い輝点(朝夕の礼拝時において陽は低い)~間接光による陰翳乏しい明るき均質。
一~二層間/エンタブラチュア(梁型)下端の陰影と重圧感によって尚更。
二~三層感/コーニスの出による緩い明暗差。
三層/ドラムを挟まずドーム裾に八角模様を利用した四つの採光窓がある。これは分節が緩くなってだらしないから普通のやり方ではない。ただ、コーニス上の(天上をセレブレイトする)十字架のディテイルを逆光で美しくするから背後の開口の存在はブロックされてしまう。またその張り出しの上面は間接光を生むリフレクターにもなっているだろう。
あらためて、あまり関心をもたなかった外部・ファサードを振り返ってみたい。大きな柱梁のオーダーのうえにさらに小振りのオーダーが重ねられる二層構造になっていた。さらに前者は二層に分割される。
下大オーダー下層/紋章風の開口で装飾される。
下大オーダー上層/地に足をつけ上方を見上げ合掌する聖人?と司教を示す杖を持つ像が三体。
上小オーダー/不在であるニッチが両脇に、宙を舞う羽をもつ天使二体が掲げる楕円の空白の額。
断面上のレヴェルが揃っているわけではないが内部の三層の構成に応答していると推察する。
コーニス(梁上端の水切り)でそれぞれ区切られた層間の相転移が凄まじい。(今更だけど)こんなの「初めて!」見た。
こんなことが空間ないし建築に可能だなんて思いもしなかった。水平方向に層状に各層が異なる動転をしてるだなんて。外部ファサードの水平方向の揺動が、閉じて完結する内部においては形態から意味に転じて眼に見えるものの背後の彼方へと想像力を介して拡がっていく。
これはミケランジェロも気付かなかった未踏の知性と想像力がもたらした『奇跡』だろ、と思い至って到る視点から驚きつづけっぱなしで覚醒しながら、ざわざわはらはら不安に憑りつかれはじめる。
誰かおなじ感懐をもつひとは居ないのか?孤立する思いしかなくって身も蓋もなく消耗した。
25年を措いての気づきのブランクとその高等に酷い敗北を喰らってよれよれの心で眩しい外に出戻った。とんでもないものを見せつけられて無力だった。
左辺をまだ見てない。ふたたび見上げようとして目の前にタクシーが停まり人が降りてくる偶然に出っくわす。今は夏時間の5時半、太陽もまだ高い。もし間にあったらすごくうれしい。閉ざしかけられたドアのピラーを奪ってVilla Giulia.Museo Nazionale Etrusco.とカタカナで言って、僕は救われたかった。
ちょうど25年前に一度きり行ったことのある一番好きな建築の庭を歩いて。それなら、なんとか立ち直れるかもしれない。こんなんで日本に帰ってしまったら堪らないんだ。
Chiesa di San Carlo alle Quattro Fontane/Via del Quirinale,23,00187,Rome,Italia
高橋洋一郎
余談
最後の写真、PCのモニターで見てびっくりしたんです。ドームの凹曲面が立体として撮れている。
ブログの圧縮された画像でそれが伝わるでしょうか。カメラはLUMIX TZ20。旅立つ直前にとてもとても安くで買ったもの。レンズが被写界深度を浅くする思想のLEICAであるかららしい。PANASONICのエンジンも優れてる。ペタッとした均質な光の情報じゃなくて「ここ!」という意志を捕まえてくれる。
画像で驚くなんて、他には知人のブログで見るSIGMAくらい。
いや、カメラの話じゃないんだ。参考画像のライナルディと較べてみてください。僕が見たとおりに撮れています、両方とも。これ、立体を立体として見せる・表す作為があるということです。光のコントロールの仕方、それに三次曲面を経線や緯線で表現しなかったということ。それでは面をラインの集積体に抽象しちゃう。第二層のアプス天井と較べるとそれに気づく。このひと素晴らしく巧いんです。
コメントをお書きください