1/3 ミケランジェロ
さきの【ヴィラ・ジュリア4/4】と【パヴィアのチェルト―ザ4/4】は1530年くらいからのマニエリスム期の中核的建築とそれを含む建築。建築を真正面から問題にしようとしても成熟した完璧な現行既成論理からのうまい出口を見いだせず自問自答しながらそれぞれなりに迂回して脱出する、言いかえれば「建築のための建築」。形を成すことの言外に本音を措かざるをえない「メタ建築」。たぶん多くが失敗しただろう。
1620年頃にはマニエリスムから次世代のバロックに移行していた。
(あくまで私見ではあるけれど)16Cに天才と崇められたミケランジェロの革命的コンセプトである動勢が、マニエリスムの「開発した反則技」を既成文法から解放する一群の自由な表現手法として包含した新しい造形スタイル。言葉の意味は「歪んだ真珠」。西欧各地に伝搬して新古典主義の体制のなか、スパンは19Cまで及ぶ。
バチカン美術館彫刻展示室のミケランジェロ作品
Musei Vaticani si trovano in viale Vaticano a Roma
次の瞬間を想起させる。同時に直前の軌跡をも。動きだす寸前の一瞬の均衡、または動態の系が変わる一刹那を捉えるのがミケランジェロの特徴だと僕は思っている。ひとつが限界で尽きつつあり他のひとつが爆発的に産まれる寸前にある交替のきわどいダイナミズムとムーヴメントを捕まえる。
筋肉と骨格の把握の主題が弛緩と緊張、またはコンプレッションとテンションの過渡にある。
そこに相容れにくい生な肉をうっすら載せスムージングし、奇妙な全艶の滑らかさで気味が悪いくらいの生命的なトーンでひとまとめにパッケージングする。周りを歩きまわれば物体が動きだすような時間を孕む矛盾に途惑って、言葉を超えて流動し撓る官能の塊と感じることになる。
僕は四つしか、これと、フィレンツェ二か所とサン・ピエトロしか見てないけれどいつもちょっと気持ち悪くなる。人体なんて、就中男性ときたら決して誉めそやすものでもないのだから通常運行、ヘテロ・セクシャルの限界です。
エロティックともダイナミックとも形容されるけれど、その後者の部分についてはBC5ヘレニック期のミュロンによる「円盤投げ」の旋回の只中にある質量の均衡を捉える眼や、19Cにギリシア・サモトラキ島で発掘された「ニケ」の羽音をたてつつ歩む巨大な女性?の動勢を捉える感覚と通じていて、西欧の彫刻の在りうる位置を再構築したといっていいのではないか、と僕は独りで勝手に考えてる。
いかにミケランジェロが特異であったかは、同時代の例えばヴィラ・ジュリア/第二の中庭地下第一層にあるアムマナーティの「横臥する男神」が作品「らしさ」に閉じ込められているかのような静態であるのを見れば察しがつく。動きを孕んで周りの空気が震え流れて気積にひらかれている。普通どんな彫刻であってもそれなりに周囲の空間は必要で、さもなくば押し潰されて死に体になってしまうのを天井の低かったかつての池袋・西武美術館/ロダン展で経験したけれど、ミケランジェロはその量が桁外れに大きい。当然のことながらどちらも事実に即さない作為ではあるのだけれど、目に入った瞬間にミケランジェロのものは初見であってもすぐそれとわかる。反権力であってもメディチにはとにかく尊重され存命中にすでに畏敬の対象であった…みんな判っていたんだ。
建築においてもそんなところがある。フィレンツェ/サン・ロレンツォ/ラウレンツィアーナ図書館のエントランンスホールにある閲覧室に至る階段。粘りつきと溶け流れ出す状態を同時にやってのける、おなじ動勢のもたらし方。
Piazza di San Lorenzo, 9, 50123 Firenze, Italia
同じくサン・ロレンツォ/新聖具室のもっとも静的である部分のコーナーにおいてさえも。
こちらは建築の文法を読み替えて動勢を誘き出す。
マニエリスム期らしい上のエディクラの水平材の壊し方。二段であることのポテンシャルを上方へ放射状に拡散するようなムーヴメント。そのことを補償するようにエネルギーを逃さぬよう上段はちゃんと盲にし、下部の競りあがる量より上部の量を小さくしてコンプレッションをかけ運動をブーストさえしてる。
それらを最後に最上辺のコーニスの綾で閉じて充溢した高熱の静謐を産みだす。
かくも美しき言外を抱えた不在は、ざらに無い。空間としての聖具室は、とくにこのエンタブラチュアから上部がエッジを付けすぎたくどい単調さでどうしてもいいとは思えないところがあるけれど、桐敷真二郎が茶室と同相というのをこの部分だけでは賛成する。
それにローマ/カンピドリオ広場の両翼。
上下方向に不安定で曖昧な動勢がある。2階マッスが「上に行きたがってる」ような、またその逆であるような。それは2階をボトムで支えるエンタブラチュア(梁型)とトップにもあるそれの量的対比による重心の上への偏りと柱脚礎石の持ち上げ、双方のリフトアップに起因している。彫刻とはあまりにも水準が異なるのだけれど…建築においても部位を吟味し編集してそれを、「動く」ことを企んでいたということだ。
静態不動であるはずの存在を、だ。決して普通のことじゃない。文化のなかで機能するそれらのイメージ、流通する前提としての「本質」をひっくり返そうとしてる。
ただ、カンピドリオが学的に評価されるべきはパラッツオ(都市型ボックス状邸館)ないし矩形のファサードに、古典主義がなかなか見つけられなかった究極の理想を全層に渡る柱/ジャイアント・オーダーで実現したことにあるだろう。
30代半ばで初見してから畏敬の対象ではあったのだけれど、第二層が上下のエンタブラチュアから受ける力で充溢するのに較べ、第一層がロッジア(開放廊)のヴォイドで抜かれてしまう足元のその脆弱をずっと不思議に残念に思っていた。
しかし、12年に再見していて突然気付いた。やはりミケランジェロのデザインした広場のパターンを同時にセットとして見ればいいのだ。ロッジアのヴォイドを中間層としてペーヴメントと上部のマッスが平行に対を成してサンドイッチ状になり安定する。同時にペーヴのパターンが描かれることで今更に明示された水平とタフな柱列の鉛直が対立しながらも均衡して充足する。
完璧。建築とグラフィックとしての広場が互いに不可分で緊密に連繋してる。でも、すべてを落ちなく合算して最終的にどうなるかを読み込む能力が桁違いで感心するというよりもすこしぞっとした。
それにしても頂部コーニス(軒の出、もしくは水切り)のデカさはとんでもない。真正面からは、その上部の手摺子のたくさんの鉛直線群がなだめていなければヘッドヘビーが過ぎて崩れてしまうと感じる。しかし肝心の広場から正面奥の市庁舎に至る動線上においては、それがフロントへと突出する前のめりの動勢を誘き出して、奥にいくほど末広がりになる広場のヴォリュームに両サイドから「強い一本の太線」としてエッジをつけて強く整流しダルに見せない働きをするから、いや、参ってしまう。
たしかに此処においては、逆パースぺクティヴなレイアウトで市庁舎が手前にせり出してくるように錯視させる広場の仕組みこそが、大地に接着してるはずの建築をさえ動かそうとするその精密こそが主題であったのだ。
ところで、あらためて、コーニス先端下端の水平線から建築が発生してるとずっと思ってる。ドームを頂くビルデイングタイプならわかるけれど、これはボックス。いや、ボックスは上から構成されるものなんだろうか?建築基準法上の斜線制限のせいで勾配がついたものをやり過ぎた。ある角度以上の傾斜線、たぶん3.5/10を境にしてア・プリオリの規制が線から失われるんだ。
自省してみよう。もうすこしこれを考え続けるんだろうな。
Piazza del Campidoglio, Roma,Italia
それからコーリン・ロウのたしか『透明性Ⅲ』の受け売りをしておこう。
サン・ピエトロ側壁のピラスター(付け柱)がブレるように輻輳して横方向に揺動しようとする。
Piazza San Pietro, 00120 Città del Vaticano
バロックは畏敬されたミケランジェロ没後の次世代のコンセプト。メタではなく建築そのものを問わなければならないじつは厳しい時代である。文化として成長しようにもイタリアに時間は残ってなかったし、ミケランジェロが契機(私見)であるからには誰も付いていける訳がなく、17Cイタリアバロックの実情は奇矯にかまけた陳腐な駄作ばっかりだ。ローマにはそんなのがゴロゴロしてる。その結論は未見ではあるけれどおそらく昨年再建なった19Cのドレスデン/フラウエンキルヘを待つしかない。
その過程にあって例外的に突出して優れるボロミーニのふたつの建築を採りあげてみます。
高橋洋一郎
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