4/4 建築、からの脱出、それに、古典主義なんてこわくない
ここで注意を喚起したい。さきに述べたトピックのことだ。
三番目の中庭。四阿(あずまや)の向こうに第二の庭。その両脇にあるL型のスリットのこと。
近づくと…高さは側壁以上の大きさ。小細工なんてもんじゃない本気の主題級。茫然とするのみ。
柱梁構造を語りながら実体は組積造なんだよ、と15C以来の古典主義の欺瞞を暴く露悪ならわかる。誰だってやるさ。しかし、さらにそこに切れ目を入れてここにもまた丸窓をもつここは黒色の八角堂が潜んでいる。最奥の神殿や四阿のオーダー群の乗る礎石天端レヴェルの上下で組積の扱いを換えマグサさえ加えている。いったい、どういうことなんだ。
建築のなかに建築が内蔵されている。丸い薔薇窓をもつドラム。高く掲げられた八角のドーム。
僕が類推できるのは1434年のフィレンツェ大聖堂Cattedrale di Santa Maria del Fiore。
フィリッポ・ブルネルスキの美しいこの巨大なドームが架かったときこそがルネサンスの、ということは、この時代の古典主義のスタートなのだけれど…彼らの現行文化の祖型。そしてそれ以来の結論としてのサン・ピエトロの、あるいはフィレンツエからやってきたミケランジェロの構想しつつある巨大なドームの、まさか…いったいなにを開示してるのか?これは。
というのが、僕が最初に見たときの動揺とその後の反芻の内訳。無関心を装い柱型を切り取ってしまう無法なスリットと異物の混入。「現代」の美術ないしデザインとまったく変わるところがない時代を飛び越えたクールなやり方と、強権で細部まで厳正な(古典主義の)システムに対してのフリーな違反と毀損に、心底仰天した。17Cまで生き延びることになる現行のモードを知らんぷりして脱け出してる。
時代性とか継時なんてものが見れば見るほど無意味化していく。ここがとんでもなく凄いのだ。このジャンプじゃあ歴史ってなんなんだと思えてくる。
(告白すると、「インスタレイションでアーティストが手を加えた。許せない!」と咄嗟には思ってしまった!だって、流儀が完全に今時のモノなんだもの。それほど信じ難い。警戒するべきだ、この建築は。
また、たぶん企画展でインスタレイションとして手を加えられたもの(三つの柱脚が第一の四阿に置かれていた)をオリジンと二十五年以上勘違いしていた知人がいる。双方、自分語りしてそれはそれは唖然とした。警戒しなきゃいけないんだ、この建築は。あれのせいでみんな変になってしまう。)
ここ第三の中庭にある具体としての古典主義は四阿(あずまや)と最奥の神殿のみ。それらのオーダーはわざわざ礎石で持ち上げられ小振り。柱梁は荷重を支える構造を装うのではなく既にオブジェとして記号的に扱われている。「開示のスリット」は、そのうちのひとつを括弧でくくり下辺でアンダーラインを引くような素振りをし、残るもうひとつにたいしてはふたつでセットになって正対する。
そうやって対等に均衡しながら異化する。この異様な関係性があそこを再組織化することによって、
中庭の体裁をとる第三の全体が、形式や時代の定型からも切り離されてまったく異なるものへズレていく。建築空間というものではすでになくてメタの、場であるとかインスタレイションであるとでも言うしかない。こんなことが現出してきて狼狽してしまう。建築という形式の範疇でこのような例がかつてあったのだろうか?有り得たのだろうか?今日でさえも。あるいは建築から、脱出してる、のではないか。
(樹木さえ幾何学形態に刈り込む西欧特有の庭園に潜んでデイオニュソスとニンフが戯れるエロテイックでグロテスクな洞・グロットと共通する手法と考える。例えばエステ荘Villa d'Este,Tivoli/16C)
2月6日の『チェルト―ザ・ディ・パヴィア4/4』で採りあげたグラフィックもそうだけれど、歴史的な図像の約束事に決別して個人の個別な文脈に引きこもった20世紀のセザンヌ以降のファイン・アートと酷似する。とりわけ、理解が得られるかどうかも分からない一か八かの無為なところが。
歪曲と幻想はルネ・ホッケが『迷宮としての世界-マニエリスム美術』のなかで挙げる特徴のひとつである。それが意味するところの答えは注釈があるわけもなく人それぞれ。テクストを読む自由だもの。
ただ、そうやって「出口なし」の個人のその都度の思いつきとしての反則は、その行為性ゆえに現在をも生きつづけうる。目の付けどころかその手付きとして、態度として、その捻じれ具合が解らないでもないならば朋輩としての他者として。存在としての不安を直観して、共有する友とすることによって。
ただ、センスと倫理観だけで審判されるいちばんきつい正念場で、リスクを懸けたジャンプだとは思う。
(ホッケは歴史上五番目のマニエリスム期として20世紀を挙げる。まったく…そういうことなんだ。)
一見の難解さのせいで古典主義をつい別世界のものと、相対化しようのないものと捉えていた。
ローマのブラマンテの、たとえばサンタ・アリア・デラ・パーチェのコーナー柱の厳正なんぞを見て、もしめげてしまうならちょっとは理解してもらえるのではないだろうか。
しかし、ここではマニエリストの奸計によって古典主義が方便としてのメディアに還元されている。
第二の中庭の各層でオーダーを厳正に使い分けたくせに、隣接する第三では「脱色」し「傷つけ」て批評の俎上にスッパリ載せるというように。
それがもたらす換喩としての、当世が欲望する価値がおそらく意味ないんだ、臈長けた高齢者にして権力者である教皇には。頂点は一点のみで参照し競争する同じクラスの朋輩は不在なんだもの。
だから冷徹に思考する。(自邸という建築としては特別なセグメントであることもあって)教養のうえでも社会の階層においても、特権的であるからこそ開ける稀有で特異な視点であるのかな、と考える。
制度から軽々と自由になり、自らの個的な観念を唯一的に敷衍させすべてを制圧する。その稀な愉悦に成功して、モードなんて知ったこっちゃない(24年前は主導的であった広告なるものの現在における無効ぶりをご覧なさいな)フラットで冷淡な眼が希求するものと通底する。
読むべきゾーンも(それがつくりだす愉しみとともに)そこにしか結局無かった。
あの時代精神に与する事由は僕にはない。客観すればあれは、古典主義は単に身振りとしてのスタイルにすぎないと、彼(等)のキツい身の剥し方を見れば言い切ってしまっていいと今は思う。
古典主義なんか怖くない。
表層をかいくぐって建築は何者になり得るのかという気付きをあたえられて、三十代半ばの僕はここで「古典主義建築」に手ほどきをどうやら受けたみたいだ、なんとも逆説的ではあるのだけれど。
と、書き終えるんだけど…難しい高級な建築だというところに辿り着いちゃった。
好きだというひとは僕の周りに複数いる、しかも無条件でこんな具合。上機嫌で散策しながら、彫塑的な迫力で何事かをプレスされるなんてことはなく、澄んだ気持ちになる場所があり、心地よくこころ温まる場所もあるし、それに楽しい逸話まである。ただ最後に全てを引っ剥がす。
「なんなんだろーね、あれってさあ…」
それを書くことで確認してみようというのが動機だった。全貌をコマゴマ列挙したのだって「あれ」を相対化したかったからだ。ただ、好きということに還ってくるだろうと思っていたのに…建築家ではない教皇を中心に据えることになってしまった。なんだか自らの言葉に次から次へと引っ張りつづけられて意外なことになってしまって…どーしてこーなった。ここ、決して一級の体裁の建築ではないんです。
マニエリスム期の建築って尋常じゃない(いやいや、20世紀も御同様だったな、深刻なんだ)。
第一の中庭に面する建築の半円のロッジア(開放回廊)。ぎゅーんと旋回する動勢を撮りたかった。
それの反対側、邸宅としてのファサード。一つ目のヴィニョーラによる基本設計からなる建築。英語版Wikipediaに後世に影響を与えたとある。なるほど機能と意味の連関において理詰めの方法的な立面
付記 : 地底に水路のある第二の神秘の中庭の用途が、夏の暑さを避けての食事と団欒にあろうとは
…こんな白ける知識を得たくて勉強したんじゃなかったんだけどなあ…知らない方が余程よかった。
高橋洋一郎
Villa Giulia/piazzale di Villa Giulia, 9-00196 Roma,Italia
コメントをお書きください