3/4 構成と統合
第一の中庭の「半円形の前半」と「矩形の後半」に緩く分節される形態に対し、「半円形をもつ第二」と「矩形の第三」を併せた形態が相応する平面構成と言っていいだろう。
ナボナ広場に輪郭として残るローマ時代の競馬場の形態を真半分にしたような図形が繰り返されて方向性が潜む接合。それが計画において形態を産出するレギュレーションだろう。
そこに、用や位相が合同だったり反転し合ったり侵犯または断絶する仕組みがゾーニングのレイアウトとしてオーヴァーレイされている。たとえば、空間として半円部が第一では上方向に、第二では下方向に動勢のベクトルをもつ、というように。
結果として、異なる世界として三つの中庭が並列してる。第二のファンタジーを「関節」として。動線の接続は第二と第三の間で途切れるからシークエンスとしての物語を形づくる意図はない。ただただ異なることの意味合いにおいて、それぞれは隣りあう必要があったのであろう。計画という観念において。
第三の中庭の四阿より第二の神秘の中庭の上空を経て最初の四阿。そのむこうに第一の建築。
その逆の、第一の四阿からの視線。第二の神秘の中庭上空を経て第三の中庭最奥の神殿まで。
二つの四阿(あずまや)を介した隣接と連結。三つの中庭と建築と三人の建築家、それに教皇は、唯一この視線の往還のみで結び付けられ統合される。
体制の規範からずり落ちようとするから個人の態度に終始しなければならない脆弱なマニエリストたちの、その連合のたどり着いた解決であるのだろう。
一なる強力な統合を成し遂げなければならない巨大なサン・ピエトロに均衡するカウンターとして。
並列するものとして、分散するものとして、複数として。互いが参照し合う関係にある集中と全貌を欠いたものとして。
※マニエリスム : それぞれの古典主義成熟期直後に必然として発生する態度。完璧な体系に依る閉塞を回避すべく、批判として歪曲的に、もしくは逃亡として幻想的となって顕れる個的な表現。
転じて、現在においても制度から逃れようとする態度をとる表現者をそうよぶことがしばしば。
たとえば読売新聞夕刊文化欄に「再現芸術であるクラシック音楽の、ピアノ奏者としてのマニエリストであるグレン・グールド」と。なーるほど。
高橋洋一郎
コメントをお書きください