ヴィラ・ジュリア          2/4-2

3)第三の中庭

 第二の中庭とは(つい訝ってしまうのだけれど)動線が接続していない。連関は地の底から見上げる四阿(あずまや)の開口のみ。いったん第一の中庭に戻り気を取り直し外に出て壁に沿って裏路地風情を歩き、なんの構えもないゲートからなんの気負いもないまま横入りすることになる。

現世の楽園、理性的ということ。中央の水盤。水の音。点対称の刈込と草地。足許の小石が軋む。

最奥中央に「記号のように」「設えられた」かのような古典主義そのもののイオニック・オーダーの神殿と、他の簡略され図式化されてしまった柱型・梁型の相反を見て、古典主義とはあっさり距離を置き抽象化を意図的に深めているような印象を受ける。現代のものとしても僕に違和感はない。

柱型がわざわざ凝ったツインの吹き寄せ式を採ってるのが逆説風味で尚更だ。

貴顕の住宅としての節度をようやく保っただけのように見えるシンプリシティには、同時代のものを思い浮かべてみると際立つ脱色振り感じる。

 

ちょっと引っ掛かるので考える。建築を離れて背景について探偵ごっこをしてみることにする。

16Cはプロテスタントに対抗しなければならないカソリックが本山/サン・ピエトロを本気の古典主義を以って造営する渦中であるのだし、こともあろうにユリウスⅢ世はその責任者にして当代随一の審美眼の持ち主であったのだから。

マスター・アーキテクトとしてミラノから招かれたブラマンテが導く16C初期の盛期ルネサンスから始まって1514年の彼の逝去による33年間の混迷の後、フィレンツェから招かれたミケランジェロが極端に個人的な動性で当代のマニエリスムを飛び越え次世紀の17Cバロックを準備する。

形式と部位、それにディテイルが彼らによって徹底的に再検討されたことが、バチカンに行くと了解できる。古典主義がシステマテイックに成熟する膨大な充溢は、面白みに欠けるくらいに完璧だ。

天才である高齢のミケランジェロが泥沼化した堂の計画を抵抗に遭いながらコストを抑制すべく規模を縮小し、構造に難のあったブラマンテの原設計を復活させ展開させたのは1547年から64年。

この大文字級の動乱する修羅場から離人するかのように醒めきって、切り離された此処で何事かを断とうとしたと思われてならない。当事者としての教皇の、私生活における反語として。

ヴィラ・ジュリア着工はじつに火中の1551年。教皇就任はその前年。53年に竣工し、55年に逝去する。かくして…前段の二つを経て一拍措いて継いだここ最奥の第三の中庭で、情況と絶縁した個人の理性の場所が現象する、と推測してみる。

 

四面のそれぞれ中央にピークが与えられている点対称の構成であることが、第一の中庭の後半部と同相である。第二の中庭を挟んだたがいに両端部として、第一は公的で連帯的で全体的、この最奥の第三は私的であり孤立的で個別的であることで対称をなす。

第一では空白であった中央には、第二の神秘の中庭の残響がおよぶかのように水盤の水の音。

それとつなぐ四阿(あずまや)の床にも魚類の図像のモザイクがあって、第二の中庭のファンタジーは思索の端緒としてあるのみだ。第一の中庭と用として動線で連結していたのと対称的で四阿(あずまや)は単なる見晴らし台としてあるにすぎない。

第二の中庭の媒介的な性格がみえてくる。

 

第二と第三の中庭のあいだにある四阿の床に水を巡る幻想がモサイクで徴される。

「はかなきことを夢に見て、とりとめなくも美しきものにしばし心を留めようではないか。」

大学一年の時に読んだ岡倉天心『茶の本』の一節を思い出してみる。

ただ、茫然とするようなトピックが振り向くと、在った。それは最後に。

 

高橋洋一郎