1/4 僕のいちばん好きな建築
教皇ユリウスⅢ世の別邸として1551年から、ローマの市壁外、市最北のポポロの門からフラミニア街道を歩いて20分ほどの、かつては葡萄畑のなか、パリオリ山裾の緩斜面に造営された。
教皇はここから西に歩いて数分のテベレ河に至り、船でバチカンに出勤する。時代は歴史上三番目の古典主義である15Cルネサンスが成熟した直後のマニエリスム期にあたる。
一つ目の建築の基本計画を重用していたヴィニョーラに任せ、中庭は現在その著作で知られるヴァザーリをスーパーバイザーにして彫刻家でもあるアムマナーティに担当させる。
実施設計と監理をヴィニョーラがした記録はないからすくなくとも一つ目の建築には教皇の意向が相当反映してるものと思われる。
共同作業系の、統括が一点に施主に集約される運営をしたのは、教皇が当代きっての目利きであるがゆえだろう。壮年までの宗教的な正義を実践する辣腕を評価されたものの、ヴィラ・ジュリアに関わる最晩年においては芸術と少年愛に耽溺し陰で謗られる人生であったらしい。
2012年、一番好きなこの建築を再訪した。どうしても来なければならない理由があったのだ。
夏時間の四月。夕6時が近い穏やかな澄んだ低い日差し。夕暮れはすぐだ。ひとつめの中庭。
途切れぬ鳥の声。ローマの松(レスピーギの楽曲を想う)。風が運ぶ雁金草の匂い(だから、臭い)。
19C末以来、この建築は古代ローマの先代文明であるエトルリアの文物を列品する国立博物館になっていて、それ以降を担うローマ国立博物館と双璧を成す。若い館員に三つの中庭の写真を撮る許しを乞うて25年ぶりの場所を歩きはじめた。
高橋洋一郎
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