ああ、やっと一章。ようやくフィニッシュだ。すごくたいへんだった。
今回はお気楽にいきます。
4/4 ふたたび 他者と出遭う
三番目の中庭を去るのが惜しまれた。でも気付けばひとり取り残されている。あわてて事務棟の玄関から第一の中庭に戻って門に向かって走りだそうとしたそのとき、奇妙なことに気付いてしまう。
なんだ、これ?…そのままにしていたことを、写真を見ながら東京で振り返ってみる。
既出の1/4で採りあげた事務棟玄関前から見る門
窓縁に描かれた騙し絵のエディクラ(飾り窓枠)の立体的描写が、これから向かおうとする門に収束している。事務棟玄関前の視点限定のパースぺクティヴは動線を活気づけて洒落がきいてる。
しかし礼拝堂玄関から見たら「あっち向いてホイ」の絵柄になってしまうではないか。ついでに、両翼の窓縁のトロンプルイユは門から入った際に立体的に見えるよう描かれているから、事実としての風景のパースぺクティヴに背く、もう二つの別のパースぺクティヴがここで幻想されてるということだ。
描かれた壁の向こう側は俗なる日常。あちら側には事ほど左様にさまざまな錯誤があるものですよと言わんばかりだ。
それにしても門の上部で、左に偏りながら他の図の手前になったり背後に滑り込んだりしてる縁どりの紅色のスーパーグラフィックはいったいなにを意味してるのだろうか。落書きのような体で劇場の舞台枠(プロセニアム・アーチ)を模しているのだろうか。大部分が剥がれ落ちコーナー部たけが辛うじて残ったかのような表現は、20年代キュビズムが複数の系を表現する技法としたコラージュにも通じる斬新な奇矯と言ってみたい。
門の外は信条を隠して嘘を演じる劇場ですよ…なんて寓意でもちらっと込めているのかな?なあんて、邪推でもしてみようか。
今となっては名も失われてしまったデザイナーは、どんな動機でこの奇想を産みだしたのだろう。
また、それを許し同意した修道院の施主たちにどんなヴィジョンがあったというのだろうか。
おそらく400年ほど前のマニエリスム期の営為。それが遠い時空を越えて、これを書いてる僕自身のなかを現在進行形でリアルに動きだす。デザインは死なない。生き続けるんだ。
※パースペクティヴ : 透視図法。唯一視点から眺めるすべての形態の線と面の延長を地平の一点に収束するように描き立体感を表現する技法。13Cに理論が図学として確立されている。
※キュビズム : ブラックとピカソが創造した美術の思想にして動向。時間さえ組み込む複数の視点で多数で多系のものをタブローに収め、透視図法の唯一視点による静的描写を乗り越えた。
Certosa di Pavia/Via Del Monumento,4-27012 Certosa di Pavia,Italia
高橋洋一郎
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岡村航太 (水曜日, 05 2月 2014 23:35)
時を経てきたものに真摯に向き合い、
現在進行形のテキストとして建築を読む。
このことの大切さを丁寧に教えてくれている。
学生の頃コルビュジェの住宅を見た時、「モダニズム」とか「モデュロール」とかじゃない、デザインすることの勇気みたいなものを感じたのだけど、、、
そのことに通じているように思えてなりません。
高橋さん、お疲れさまでした。
ありがとうございます。