今日は深刻な話。それに救いの話です。
3/4 もうひとつの別の世界
チェルト―サを巡る話しは続きます。
四月の初講。担当する一般教養の講義を四大生も受講するようになっていつもとは違うルートで帰ってみようという気まぐれをおこす。疲れていたんだ。週一の大学での講義ってそんなものです。
で、乗った電車が人を轢いた。それは僕の座っていた座席の直下に在った。向かいに座っていた20代の男性はずっと顔を覆って身じろぎひとつしない。彼は迂闊にも振り返り、見てしまったのだ。
そして、身体を毀損した寄る辺ない死者が床板を伝って靴底から浸みあがってくるような厭な感覚。
それからというもの、身に迫るものとしての死を考えるようになってしまった。
十代から四十二歳までの憧憬であった吉岡実の詩編に「時間の崩れゆく袋である生き物」の一行。
それでも不吉は日々薄れていく。それにつれ、もう一度見ないことには死んでも死にきれないと日増しに強く思うようになった場所があった。それがパヴィアのチェルト―サの三番目の中庭。
2009年に我がままを言って周りを引きずりこんでそのチャンスはやってきた。
上方(北)右に第二の中庭の一部。下方のおおきい矩形が第三の中庭。
広大な矩形の場所。四角に切り取られた草原と空。回廊とその外側に「おうち」のように点在する僧房。静謐な拡がり。厳格で知られるカルトゥジォ会の修道僧たちの、平均寿命が三十数歳でしかなかった人生が累積する痕跡。明るい土色のテラコッタタイルが敷かれた回廊を歩むときの密やかな沈黙。
等間隔で配置される僧房群。塔(煙突)のせいで小動物を類推してしまう。走ってるさままで…。そこに動きを運動性を見出して、僕の認識のなかでこのラインの位置が曖昧に茫洋とした印象を帯びてくる。
修道僧たちが暖をとったであろう僧房のちいさな暖炉。
それに、僧房付属の小さな裏庭。
一緒に行った同窓の先輩が帰路のアリタリアのなかでカメラをいじりながら言う。
「どうしても屋根のラインを画面の真ん中にもってきてしまうんだよね。」と。
その通り、僕もおんなじなんだ。彼女がぽつんと一人ぼっちで遠くを見やる姿が写真に残っている。
言われてはじめて気づいた。どうしても、そうなるんだ。
つらつらと思うことがある。
あのラインは地平線の比喩として現象しているのではないか。それぞれの裡で。それは茫洋とした世界の果て。この生きる大地となにもない空とを区切る線。領土の尽きる限界としての境界のこと。
僕たちはつい、閉じた拡がりとしてのあそこに世界の模像を見てしまっているのではないか。
信仰の誠実が日々の労働と思索を営むあの場所で、どこか自我のなかに痩せ細りながらも穢れないで生き延びている自身の骨格を、僕らはたどっていたのではないか。
あれは僕らが見たいと願いつづけてる世界そのものなんじゃないか、と。
歴史は美学に拠ってこれを課題とはしないないだろうし、考察の対象としての建築がある訳でもない。
でも、ある種の人間の心のなかではいつまでもありありと生き続ける場所なのだ。
今にも失ってしまいそうになっているかけがえのないわたくしの世界の模像として。
あるいは、わたくし自身の表象として。
高橋洋一郎
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